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Watkins & Doncaster

(United Kingdom/ Leominster)

 Watkins and Doncaster商会は現在まで事業を継続しているイギリスで最も古い標本商であり、その起源は1874年にまでさかのぼる。商会の発足当初は蝶の飼育や標本を専門としていたが、鳥類をはじめとした剥製や昆虫標本の販売などを通じて事業規模を拡大し、大英自然史博物館と業務提携を行うなどイギリスを代表する巨大標本商となった。しかし近年では標本・剥製のグッズの販売をメインとし、標本そのものの販売はかつての様に大々的に行ってはいない(実質的に標本販売事業は休業中であると言ってもいい)。店舗は創業以降ロンドンやケントと移り変わった歴史があるものの、現在ではイングランド中部の地方都市レオミンスター近郊に位置する。


 さて、レオミンスター(Leominster)という街を訪れた事のある日本人はこれまで一体何人いるのだろうか…「レオミンスター」で検索をかけても、日本語での旅行記や町の紹介をしているサイトが全くヒットしない。それもそのはず、レオミンスターはロンドンのヒースロー空港から電車を乗り継いで最短で5時間、観光地など全くない「地方都市」というよりもはや小さな「村」であるため、よほどの理由がないとまず一生縁がないであろう土地である。

 W&D商会はイギリス本土で開かれる即売会に頻繁に出展し、自社製の標本箱やグッズを販売している。以前AESで社員の方に「うちには古いセカンドハンドの標本箱があるから、興味があったら是非一度来てください」とのお話を頂いた。欧州製の古い針や標本はフェアで比較的簡単に手に入るし、日本にいながらでもそういった製品に興味があって集めている人間の元へ行けば入手可能である。しかしイギリス製の、しかもW&D商会作成の「ヴィンテージ標本箱」となると中々手に入るものではない。重くてかさばる標本箱をわざわざ苦労して日本に持ってくるような人間もいないので、入手難易度は高いだろう。比較的古い箱ではフランスやチェコ製の、長方形で比較的蓋の緩い紙や木で出来た箱ならば簡単に入手できるが、私はイギリスの博物館や大学で見かけるような、しっかりとしたガラスと木枠で出来た、重圧感のある箱が欲しかったのだ。そこに自身で買い集めたオールドコレクションを入れて飾れば、さぞかし良い長めになるだろう。
 

 さて、そんな感じで時間がとれる休日に訪問する気満々だったのだが、問題はその場所であった。前記の通りレオミンスターはただでさえアクセスの不便な都市…いや、私の実家の秋田の農村並みに交通の便が悪い村であり、自宅から電車を乗り継いで約4時間(しかも往復で1万円近くかかる)かかることが判明した。そして何より、驚くべきことに現在W&D商会は360度辺りを畑で囲まれた、何もない丘の様な場所に位置しているため、最寄り駅からはタクシーか徒歩(1時間)で向かうしかない(ちなみに駅前にはバス停なし、レンタカー無し、タクシープールもなくタクシーは自身で電話で呼ぶしかない)。

 これが航空写真である。見よ、この究極のアクセスの悪さを!訪問当日、最寄り駅に到着し、タクシー会社に電話して予約をしたものの、いつまで経っても来ない…。催促の電話をしても現れず、40分程退屈そうにいつ来るかもわからないタクシーを待ち続けていると、なんとそんな私の姿をカフェで優雅にお茶をしていたお婆さんが見ていて、声をかけてくれた。「何を待っているの?」と聞いてきたので、事情を説明すると「ああ!それだったら今から私の夫に車を出させるから、もうタクシーなんて無視しちゃなさいよ!」と親切ながら豪快な事を言うので、これ以上待っていても来る気配もなさそうという事もあり、折角なのでご好意に甘えさせてもらった。

 それから何故かそのお婆さんの自宅に20分ほどかけて一緒に散歩しながら歩いていき(とても立派な邸宅で驚いた)、何故か一通りお茶をごちそうになった挙句、お婆さんと旦那さんと3人でW&D商会までドライブに行った。車中の20分強の時間は、とても話好きのお婆さんが私によく話しかけてくれた。私とお婆さんはどう見ても孫と祖父母の年齢関係なので、話し相手がほしかったのだろうか?結果的にお婆さんの親切が無ければ到着出来るか危うかったので、本当に感謝である(後に日本に一時帰国した際には伊勢丹の地下でそれなりに値段のするクッキーを購入して、サンクスレターを添えてお婆さん宅に送った)。

さて、これがW&D商会の現在のオフィスである!。標本販売の事業からは撤退しているため、標本はそんなにないだろうと当初は予想は出来ていた。しかしキャビネットの数は数百あり、撤退したとはいえ最盛期の名残というべきか売れ残りというべきか、その当時の標本が当時のディスプレイを変えずにそのまま現存している姿には感銘を受けた。

まず自身のターゲットである甲虫だが、こちらはそれほど数が残っていない。全部で10箱もあるだろうか?ラベルも付け忘れたのだか、元からないのかわからないが大半が欠損していた(これは欧州の古い標本にはよく見られる事なので想定内だが)。しかしイギリス特有の台紙に短いピンで止めるという風習が見られたり、以外と手に入らないイギリス国内の古い標本が手に入ったのはラッキーであった。探してはいるものの、まだ自分で採集した事がなかったイギリス産のイッカククワガタの1940年代のものがあったし、同じくパラレリピペドゥスオオクワガタや、古くて面白い標本をいくつか摘まむことが出来た。

蝶や鱗翅目の標本がメインでその数は数百箱を超えていたが、昆虫同様コンディションが悪かったり、私がざっとみた感じでも価値のある標本は過去100年でこれまでの訪問者達に漁られつくされた印象を受けた。現存しているものもラベル落ちや虫食われでボロボロのものが大半であるが故に残っている、という感じだった。

胸部にピンが刺さっている標本。標本は上翅の右側に刺す、という風習はだいぶ昔から存在しており、18世紀には既にその風習が確認出来る。しかしながら20世紀初頭に至っても一部のコレクターでは上翅の左側に刺したり、前胸に刺したりと独自のルールを貫く人間が存在していたようだ。私の経験では何故かそのような標本を博物館のハナムグリやコガネムシのオールドコレクションでよく見かけたのだが、この刺し方で統一している著名なコレクターが当時存在したのだろうか?

南米のハムシもそう面白そうなものがあった。古い標本にありがちな簡素なラベルで、「南アメリカ」以下詳細を欠いていていた。自分で同定出来ないため後日ハムシの専門家であるガイザー博士(大英自然史博物館)に見て頂いたところ、Labidomera clivicollisという、普通種であるものの日本の市場ではあまりみかけない種類であったのでちょっとうれしい。

セカンドハンド/新品のキャビネットも販売している。トイレにまでキャビネットが侵入してきている様子には笑ってしまった。世界中を探してもトイレに高級キャビネットが置いてある空間は片手で数えるほどだろう...

 購入したのはこちらの標本箱(写真は後日自身のコレクションを入れたもの)。非常に古いものだが、店頭にずっと在庫として置かれていたため、ヴィンテージものなのに針孔一つない新品という最高のコンディションであった。

 この古い開閉金具やカビの匂い、美しい表面のコーティング…これぞ求めていた逸品である。それなりに時間とお金を消費し、トラブルにも遭遇したものの、目的のアイテムを入手出来て満足だ。

 


 

今回は平日の真昼間に訪れたという事もあって、店主とお会い出来なかったのが残念だ(代わりに店主の娘が対応してくれたが、偶然私と同じ大学の大先輩で驚いた、まさかこんな地でOGに出逢うとは…)。私が標本を必死で選別している間、運転してくれたお婆さんとその旦那さんも一緒に標本をみたり、書籍を手に取っていた。どうやらお婆さんはトンボがお好きなようで、ポスターをお買い上げになっていた…

 もし、このページを見ている方で訪問を検討している変人がいるようであれば、くれぐれも現地までの移動手段についてはよく検討した上での訪問をお勧めしたい。一番ベストなのは、どこか別の大きな都市で車を借りて自身でドライブしていくことだろうか?世界中にはいくつも昆虫ショップが存在するが、個人的にここへのアクセス難易度は★5を進呈したい!
 

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